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大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)3438号 判決

原告

北野菊太郎 外三名

被告

株式会社藤永田造船所

主文

被告は原告北野菊太郎に対しては金一六、六六六円、原告北野美津子、同渥美良蔵、同阪口好子に対してはそれぞれ金一一、一一一円ずつおよび、いずれもこれに対し昭和二八年八月二〇日より支払済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決は原告北野菊太郎は金五、〇〇〇円、その他の原告等はそれぞれ金三、〇〇〇円ずつの担保を供するときは仮に執行できる。

事実

一、申立

原告等は、「被告は、原告北野菊太郎に対しては金七五、三三四円その他の原告社に対しては各金五〇、二二二円宛、および、これに対し昭和二八年八月二〇日より支払済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決および仮執行の宣言を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

二、原告等主張の請求の原因

(一)  亡北野ツユは、被告会社に鋳鉄補助工として勤務していたが、昭和二七年五月一二日午前一一時四〇分頃昼食を運搬するため作業場である鋳鉄部建物内の自己の職場から東南の方向にある同建物南側第二の出入口に向つて歩行中、頭上約七〇尺の高所から、スレート瓦の破片(長さ一尺、幅七寸程)が落下してきて同女の頭部に当り、右事故のため、同女は頭蓋骨骨折・脳震盪症を即発し、人事不省に陥つたので直ちに上田外科病院の医師上田英夫の治療を受けたが、顛頂部に受けた小児手掌大の部局性腫張のため、頭部の圧痛鋭敏・眩暈・咽頭部異物感・気・便秘・食欲不振・歩行障碍等の諸症を併発したので、同月一九日向坂外科病院に入院、加療したが、尚眩暈・頭痛・頭重等の症状が存続するまゝ歩行障碍が漸く軽度となつたから、同年六月二八日一応退院し引続き同病院に通院して加療したが経過不良であつた。

その後再び前記上田外科病院で治療を受けていたが昭和二八年八月現在では右脳震盪後遺症のため両下肢に「しびれ」を感じ、歩行の困難を訴え、顔面蒼白・眩暈等の症状は去らず膝蓋骨腱反射は両側共に亢進する有様で工員としての職場復帰は遂に不可能となつたまゝ、昭和二九年五月二九日死亡した。

(二)  被告会社の所有し且占有する前記鋳鉄部工場建物は、昭和一五年頃戦時造船工業のため急造された建築物であつて前記事故発生当時既に相当の老朽を来していた上、屋内起重機その他の運転作業に因る震動が激しいため、スレート葺の屋根の止め金は腐蝕してゆるんでいたし、スレート瓦は処々亀裂を生じて垂れ下つていたところへ、台風による窓硝子の破損の修理を訴外沢田堅吉に請負わしめ、たまたま同人の使用人小川峯吉が右修繕工事用つり足場を造ろうとして屋根に登つたので、右スレート瓦はその重量に堪え兼ねて破壊し、破片となつて工場内部に落下し、前記のとおり亡北野ツユを負傷せしめたものである。

このように右スレート瓦が破壊して落下したのは、その上を通行した作業員の重量に堪え切れない程老朽していたためであるので、本件事故の原因は右工場建物の屋根の保存に瑕疵があつたことにあるといわなければならない。

(三)  又被告会社としては右のように屋根瓦上に人が登ることを必要とするような危険な工事を施行するに際しては、危険防止のために工場内の従業員等に警告を発してその注意をうながし或いは通行禁止の立札・繩張りを施す等の注意を払わなければならない義務がある。若し被告会社がこのような注意義務を充分に尽していたならば亡北野ツユも屋内歩行にあたつて用心を怠らなかつたであろうから本件事故も未然に防げたであろう。しかるに被告会社は過失に因つて右のような注意義務を怠つたのである。

(四)  亡北野ツユは、明治三五年七月一五日に大阪市阿倍野区阿倍野筋三丁目五六番地に於て訴外清水福松の四女として出生し阿倍野尋常高等小学校を卒業して訴外渥美倉太郎と結婚し、餠菓子商を営んでいたが、昭和一七年六月離婚し昭和一八年三月原告菊太郎と結婚して昭和二三年八月一三日婚姻届をした。

同人は昭和二一年二月天王寺職業安定所の紹介により被告会社に伸線補助工として採用せられ、昭和二三年四月鋳鉄部鋳鉄補助工となり、昭和二七年四月には基準給その他の手当を加えると一箇月に金一〇、三七九円八三銭を支給せられていたところ、同年五月一二日前記の如き負傷を蒙り、休業期間中は被告会社より休業手当の支給を受け治療費も支給せられ、且大阪赤十字病院の診断により第一三級の負傷として金三五、八〇〇円の障害補償を受け、又訴外沢田堅吉より見舞金六、〇〇〇円の贈与を受けたが、被告会社より又訴外沢田堅吉より解雇せられ昭和二八年五月一日以降一切の災害補償も打ち切られたが、右負傷による障害の存続により右の如し職業に就職できなくなり、手内職により僅かに一箇月金三、〇〇〇円程度の収入を得ることができたに過ぎなかつた。

そして北野ツユは右負傷により死期を早められ昭和二九年五月二九日に死亡したが、右負傷を蒙らなかつたとすれば同女は右解雇のときより死亡の日まで鋳鉄補助工として一箇月約金一〇、〇〇〇円の賃金収入を得ることができたのに右負傷のため収入が一箇月金三、〇〇〇円以下となり生活費は二箇月金六、〇〇〇円を要したから、一箇月につき右金六、〇〇〇円から金三、〇〇〇円を差引いた額である金三、〇〇〇円、一二箇月分の合計金三六、〇〇〇円が右負傷により同人の蒙つた損害というべく又本件負傷により併発した前記諸症にともなう苦痛・不自由およびそれにより死期を早められたことによつて、同人は精神上、多大の苦痛をこうむつたが、同人は被告・訴外沢田・および労働基準局から前記のとおりの金員の給付を受けている事情を加味して金二〇万円を右精神的苦痛の慰藉料として被告に請求する権利を有する。

(五)  前記のように亡北野ツユは昭和二九年五月二九日死亡し、原告等のうち、原告北野菊太郎は配偶者として三分の一の、その他の原告等はその嫡出子として、九分の二ずつのそれぞれ割合により同人の遺産を相続し、北野ツユの被告に対する合計額金二三六、〇〇〇円の右損害賠償請求権を承継取得したので、それぞれの相続分たる金額およびその各々に対し、本訴状送達の翌日である昭和二八年八月二〇日以降支払ずみに至る迄民事法定利率である年五分の割合による遅延利息の支払を求めるため、本訴におよんだものである。

三、被告の答弁

(一)  亡北野ツユが原告主張の日・時および場所においてスレート瓦の破片の落下により負傷したこと。本件工場建物が被告の所有し且占有するものであること。当時被告会社が右工場建物の破損した窓ガラスの修理を請負わしめており、その工事用の吊足場作成のために作業員が屋根に登つたこと。亡北野ツユは右事故当時被告会社に雇われておりその給奨は原告主張のとおりであつたこと、本件事故により同人が労働基準局から原告主張のとおりの災害保険金の支給を受けたこと、同人は本件事故後訴外沢田堅吉から原告等主張どおりの見舞金を贈られたこと、同人は、原告主張の日に死亡し、原告等のうち北野菊太郎はその配偶者として、他の原告等はその嫡出子としてそれぞれ亡北野ツユの遺産を原告主張の割合で相続したことは認めるが、北野ツユの職務負傷後の症状予後の状態、建物が老朽していてその保存に瑕疵があつたこと及び、同女の負傷が被告等の過失によるものであることは争う。

(二)  原告は、本件工場建物の保存に瑕疵があつたと主張するけれども、本件の真相は次のとおりであつて、建物・屋根等の保存には何らの瑕疵もなかつたのである。すなわち、本件事故のあつた工場は、昭和一八年五月建築したものであつて、建築後九年を経たのみで決して老朽のものではない。鉄骨造りで極めて頑丈であり、屋根はスレー卜葺で、スレートの大きさは幅約三尺・長さ約六尺・中央都は三ケ所をボルトで鉄骨に固着せしめておるのであるから、原告の主張するように自然に垂れ下る筈がない。又被告会社は労働安全衛生規則を厳重に守り、昭和二七年阿倍野労働基準監督署長から、「安全優良工場」として表彰された程であつた。

本件事故の当日頃、被告会社は台風のため破壊した本件工場の窓ガラスを修理する工事を請負業者である訴外沢田堅吉に請負せて施行していたのであるが、この工事の目的場所は高さ約五〇尺幅約四〇九尺の広範囲にわたるから一時に固定した足場を造ることは莫大な経費を要し困難であるため、吊り足場を設け、東端から、順次西にその足場を移動する方法で行つていた。右沢田の被用者である小川峯吉は、その吊り足場を吊り下げるためのロープを屋上二重屋根の上部ひさしの下に結びつけようとして屋根に登つたのであるが、その際、直接スレート瓦を踏んで歩行すれば破損のおそれがあるので幅約一尺・長さ約二間の歩み板をスレート瓦の上に置き、その上を歩行してロープを取り附け、作業を終えて降りようとした際、どうしたはずみかよろめいて倒れようとし、スレート瓦を踏み支えたので、歩み板の端に力が加わり、スレートが破壊した。右小川峯吉はその後直ちに破壊したスレートの破片を全部除去して取り片附け、更に今一名の作業員が屋根に登り破片が残つているか否かを点検し、又工場の従業員若干名も危険の有無を調べた後、危険のないことを確認して作業を続行したのである。

しかるにその後約三〇分程経て亡北野ツユがその破損箇所の直下の近傍を通過しようとした際、スレートの破片がその頭上に落下し、本件事故が発生したのであつて、その落下の直接の原因は不明であるが、少くとも、本件建物の屋根の保存に瑕疵があつたためスレート瓦が作業員の重量に堪えず破壊して落ちたとの原告の主張は事実に反する。

(三)  本件事故による亡北野ツユの負傷の程度に関する原告の主張事実のうち、昭和二八年八月現在における症状については原告の主張に相当の誇張がある。既に同年二月現在における同人の症状は、頭痛と軽い眩暈感を残し両下肢の腱反射亢進を示す他特記すべきものなくレントゲン写真上頭蓋骨骨折とは認め難く、諸症は固定しつつある状態であつた。又同人の死因は子宮癌であつて、この子宮癌と本件事故による負傷とは何らの因果関係もないから、本件事故により、「死期を早められた」との原告の主張は失当である。

(四)  尚、亡北野ツユは原告が主張するように鋳鉄工として雇われていたのではなく、鋳物の芯を抜く作業に従事していたものであり、傍ら工員等の食事の運搬をしていたのである。又同人は昭和二八年五月被告会社から解雇せられたと主張するが被告会社は同人を解雇したのではなく、同人は昭和二八年四月一五日附退職願によつて退職したのである。

四、証拠(省略)

理由

(一)  亡北野ツユが被告会社の従業員として昭和二七年五月一七日午前一一時四〇分頃被告会社の所有し且占有する鋳鉄部工場建物内で作業に従事中、右建物内部の原告等主張の場所においてスレートの破片が屋根からその頭上に落下して負傷したことは当事者間に争いがない。

(二)  そこで証人杉本勇一・西正男・山崎武夫・井田勝造・森下国雄の各証言及び本件事故現場検証の結果を綜合すれば、本件工場建物は昭和一八年頃に工場用として建築されたものであつて、その構造は鉄骨造りで、屋根は鉄骨の屋根に幅三尺、長さ六尺位のスレートをボルトで固着したスレート葺であるが、台風による被害等のため、本件事故発生当時相当に損傷しており、屋根のスレートの如きもかなりの程度に老朽し、雨漏りの個所も多数あつたこと・右工場内には四五トンと一五トンの起重機が一台ずつ設置せられていたので、これが運転により屋内は相当に振動することがあつたが建物損傷の程度が原告等の主張するようにスレートの止め金が腐蝕し、スレート自体にも亀裂が生じて自然に垂れ下る程ではなかつたことが認められる。

原告等は、右建物の窓ガラス修理工事用の吊り足場を造るため作業員が屋根の上を歩いたところ、老朽のあまりその重量に堪えかねたスレート瓦が破壊し、破片となつて亡北野ツユの頭上に落下したと主張するのであるが、成立に争いのない乙第五号証の一、二証人小川峯吉・谷茂男・稲垣昭夫・森下国雄の各証言を合せて考えると、被告会社は当時訴外沢田堅吉に請負わせて右工場の窓硝子の修理を施工せしめており、当日も右工事のため屋根からロープを下げてつり足場を設置すべく、右沢田の使用人小川峯吉が屋根に登つたか、同人はスレートの破壊を避けるために厚板二枚を屋根の上に横たえてその上を歩いていたところ、作業中によろめいて右板の外に倒れかゝり身体の重みを直接スレートにかけたため、その部分を破壊し、破片が直下の工場内の床に落下したか、その時は幸い人にあたらずに済んだこと、及び、その直後同人等が一応その破壊個所附近を調査したときは、スレートの破片を発見することができなかつたがその約三〇分後北野ツユがその落下地点の近くを通過しようとした際、再び頭上より一辺一尺足らずのスレートの破片が落下して同人が負傷したものであることが認められる。したがつてスレートは前後二回にわたり落下したのであるが、第一回目の落下は原告等の主張するように単に屋上を歩んだ小川峯吉の重量に堪えずして破壊したことに因るのではなく、同人がよろめいて原板から身体を外しその際に特に加わつた力で破壊したことに因るのであるから、スレート自体の瑕疵が原因であるとすることはできない。そして北野ツユの負傷した第二回目の落下が、他の原因によつたことを認めるに足る証拠がないから、右第一回目の落下の際に屋根の下辺の何処かに残留していたスレートの破片が証人森下国雄の証言によると右事故当時も起重機が運転せられていたことが認められるから、その振動か又は何等かの原因で落下したものであると考えられる。

本件事故現場の検証の結果によれば、本件建物はスレート屋根の真下は唯鉄骨が組まれてあるのみで、多数の工員が作業に従事している床との間にはそれ以外に、屋根裏、天井その他屋根からの物の落下を妨ぐべき何等の障害物もないことが認められる。このような状況にある屋根の上に人が登り作業をするならば、スレートは破損し易い物質であるから、作業員のわずかな過失によつても、屋根から直下の床にスレートの破片等を落下させ作業中の工員を負傷させる危険性があることは容易に考えられるところであつて、本件建物の所有者であり占有者である被告会社としては、前記作業の施行にさきだち、作業を一時中止するか、又は作業を継続するなれば屋根からの落下物から工員等を保護するに足る設備をする等の危険の防止に必要とせられる万全の措置をとるべきであるのに、右の如き処置がとられていたことを認めるに足る証拠がないから、結局被告会社の本件建物の保存には瑕疵があつたものというべく、前記認定の事実によると北野ツユは右瑕疵に因り負傷したものであるから、被告会社は民法七一七条一項により右損害を賠償する義務がある。

尚使用者は労働者を就業せしめる建物においてはその生命、身体に対する危害を防止するに必要な措置を講じる義務があるものであつて、このことは労働基準法四二条、四三条等によつても窺うことができるのであるか、使用者である被告会社は右認定のように窓硝子の修理工事を施行するに際し、労働者北野ツユの作業場である本件建物において危害を防止するに足る何等の措置も講じていなかつたため、スレート破片の落下により同人が負傷したものである。そして、本件事故発生に際し、右の注意義務を怠つたのは結局被告会社代表機関の過失によるものであつて、工場の設備の改造、修理等を施行することは、代表機関の職務執行につきなされる行為であることは明らかであるから、結局被告会社は民法七〇九条によつても右過失による損害賠償の責を負わなければならない。

(三)  成立に争いのない甲第一〇号証・原告北野菊太郎本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一号証から第三号証迄・証人杉本勇一・西正男・井田勝造の各証言を綜合すれば、本件事故による亡北野ツユの負傷の程度およびその経過は概ね原告等の主張するとおりであつて、それに因り同人は相当長期間にわたつて従前の労務に就くことができない状態にあつたことが認められる。

そして事故当時における北野ツユの被告会社から支給を受けていた給料は月額一〇、三七九円であつたが、昭和二八年五月一日以降は雇傭関係が終了して同人は被告会社から給料の支払を受けていないことは当事者間に争いがない。右雇傭関係終了の原因につき原告等は被告会社の解雇に因るものと主張するに対し被告会社は同人の意思による退職であると主張しているが、同人が事故前の労務に復帰し、従前どおりの収入が得られるか否かということが問題なのであつて、解雇が退職かというようなことは本件では直接関係のないことである。

同人は右昭和二八年五月一日以降本件負傷に因り従前の労務に就くことが不可能である期間、同人が従前の労務に就いていたならば得た筈であつた給料月額一〇、三七九円から同人が手内職等の家内労働により得ることができた筈であつたと原告等も自認する収入月額三、〇〇〇円(この価額は女子が通常の家内労働により得ることができる収入としてはむしろ高額であることは顕著な事実である)を控除した額である月額七、三七九円に相当する損害を本件事故により蒙つているものといわなければならない。

ところが、成立に争いのない甲第一二号によれば、同人は本件事故による負傷と関係のない子宮癌に基因する癌性悪液質に因り昭和二九年五月二九日死亡したものであつて、右子宮癌は本件事故当時である昭和二七年五月頃の発病にかゝるものであることが認められるし、又成立に争いのない甲第一一号証及び原告北野菊太郎本人尋問の結果によると北野ツユは昭和二八年九月二八日以来右死亡に至るまで大阪府立大阪病院産婦人科に入院して子宮癌の治療を受けていたことが認められる。

右認定の事実によると特別の事情のない本件では同人はおそくとも昭和二八年九月一日以降は本件事故と関係なく子宮癌のために労務に従事することができなくなつたものと推認すべく、それ迄は本件負傷に因り、従前の労務に復帰できない事態にあつたものと認められる。しからば結局同人は本件事故に因り昭和二八年五月一日から同年八月末日迄給料として得べかりし金額から手内職により得べかりし金額を控除した月額七、三七九円の割合による合計金二九、五一六円の損害を蒙つたものというべきところ、同人が本件負傷により金三五、八〇〇円の障害補償金の支払を受けた事実は当事者間に争いがないから、労働基準法八四条により被告会社は右損害を賠償する責を免れているものといわなければならない。

したがつて右給料相当の金員の支払をもとめる原告等の請求は失当である。

(四)  前記のとおり本件事故による負傷が北野ツユの死期を早めたことは認められないのであるから、被告はこの点を原因とする精神的苦痛を慰藉する義務を負わないものといわなければならない。それ故慰藉料として金二〇〇、〇〇〇円の支払を被告にもとめる原告等の請求は過当であると考えられる。

前記のとおり、本件事故による北野ツユの負傷の程度が相当に重いこと・その治療が長期間を要し且完全に治療することが困難であつて同人は精神上肉体上相当の苦痛を蒙つたという事実及び、成立に争いのない同第八号証の一、二と原告北野菊太郎本人尋問の結果により認めることができる。同人は事故当時四九才の人妻であつて昭和二三年六月二四日被告会社に雇傭せられ芯取工として事故当時月額一〇、三七九円の給料を得ていた事実並に当事者間に争いのない同人は本件事故後訴外沢田堅吉から金六、〇〇〇円の見舞金の贈与を受けている事実等を綜合して考慮すると、慰藉料の額は金五〇、〇〇〇円を以て相当とすると判断する。

(五)  右の如く亡北野ツユは被告会社に対し、金五〇、〇〇〇円慰藉料請求権を有していたものであるところ、昭和二九年五月二九日死亡し原告菊太郎はその配偶者として三分の一、その他の原告等はその嫡出子としていずれも九分の二ずつ、のそれぞれ割合により北野ツユの遺産を相続したことは当事者間に争いがないから、結局原告北野菊太郎は右慰藉料の内金一六、六六六円、その他の原告等は同じく内金一一、一一一円ずつの割合により北野ツユの被告会社に対する右債権を相続により承継取得したものというべく、原告等の本訴請求は右金員及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和二八年八月二〇日から右支払済に至る迄民事法定利率である年五分の割合による遅延利息の支払を求める範囲内においては正当であるから、これを認容し、その他は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 前田覚郎)

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